5/3
主人公が呉用、というのは早い時期から確定していた。つーかこの企画のキモといっていい設定だ。デザイン的にはほぼ横山光輝版の呉先生で、ヘラヘラしてて頼りない感じで、実は軟派。これを思いついた時点で「行ける!」と思ったのだが、この感覚も他人には決して伝わるまい。難儀なことである。
原作ではまず洪太尉が伏魔殿から百八星を解き放つプロローグ、それから王進師範、史進、魯智深、林冲、楊志などのエピソードの後、やっと呉先生が登場するわけだが、プロローグはともかく、大部分は端折って、本編は呉先生の登場から始めねばなるまい。呉先生がいないシーンはなるべく回想などで処理しよう。
となると、最初に登場するのは晁蓋、劉唐、阮三兄弟(姉妹)、公孫勝、それに楊志あたりまでということになる。中でも真っ先に登場する劉唐、晁蓋の絵を用意しなきゃならんのだが、困ったことにこの二人には全く思い入れがない(笑)。キャラクターデザインは基本的に横山光輝版をベースにしよう、と無謀なことを考えていたので(もちろん、絵柄を横山光輝風にしようという意味ではない)、横山版を見てみる。晁蓋の旦那、ヒゲ面である。さすがにヒゲを生やすわけにはいかん。いきなり行き詰まる。この先もヒゲキャラは多いので、なんとかヒゲをモチーフに別のものに見立ててデザインできないかと考えるが、ムリだった。なんかいいアイディアがあったら教えてくれ。
しかたないので「おだんご頭」(笑)というモチーフだけでなんとか描いてみる。髪型も適当。ところが、意外といい感じに描けた。これはイケるかもしれん。シナリオ的に、晁蓋を(宋江登場までの)初期のヒロインとして扱えるメドが付いた気がする。晁蓋が死んで大泣きする呉先生を宋清が慰めるシーン、など妄想は膨らむ。私の中で晁蓋は、呉先生の憧れのひとであった、というポジションに昇格。自分で描いたキャラの絵に触発されるというのも妙な話である。いや、別に絵がうまく描けたってわけでもないんだが。ひょっとして俺って変態?
次に劉唐。晁蓋はまだしも前半のストーリー上はかなり重要なポジションにいるわけだが、こいつはそれすら何もない。まあ、「赤髪鬼」ってことでキャラ立ちがハッキリしてるのが救いではある。即ち赤毛。ホントは赤毛じゃなくて生え際に赤いアザがあるってことだったよね、たしか。横山版では白土三平のマンガによく出てくる、髪の毛が全部一方に流れてる髪型の奴みたいになってる。しかも幻術を使うとかいう設定。全然ちがうじゃねえか(笑)。なおかつ、単行本の表紙では思い切り髪の毛が真っ赤。やっぱそうだよね。しかたないので、我ながらムリがあるとは思いつつその白土三平風のデザインを元に描いてみた。とりあえず片目は髪で隠れてるっつーことで。反対側にも髪がハネてることにして、外ハネ風に描いたらうまくいった。なんか暗い女の子という感じになったので、赤毛にコンプレックスを持っている、ということに決定。原作ではすごい乱暴者のイメージがあったのだが、それを言ったらみんなそうなので(笑)、これくらいはアリだな、と気づく。そういえば劉唐の登場時に出てくるはずの雷横はどうしようかなぁ。カットするには惜しいキャラではあるが。横山版では思い切り省略されてる。
呉先生はまんま横山光輝版のデザインで最初に描いてあったので、これらの絵を使って冒頭のシーンを作ってみる。吉川英治の『新・水滸伝』で言うと、『寺子屋先生、「今日休学」の壁書をして去る事』というくだり。もともと好きなシーンなのだ。ところが、岩波文庫の『完訳・水滸伝』をあたってみると、全然違う。呉先生が休講の旨を絶句に書き付けて悠々と去る、という場面が全くない。このくだりは吉川版オリジナルだったのである。やはり吉川英治は偉大だった。惜しむらくは水滸伝を書き終えてから亡くなってほしかった(失礼&罰当たり)。
というわけで大いに吉川版にインスパイアされつつ書く。うーむ、つかみのシーンがイマイチだが、あとで検討することにしてそのまま書き進めてしまえ。パイロット版だし、とにかく動作するものを作る。てなわけでできたのがパイロット版Ver.0.01でした。尻切れトンボ。
5/5
最初のバージョンはあまりにも中途半端というか、モロに作りかけであったので、まがりなりにも第一話の原型を作ってしまおう、と考えた。というか今まで「第一話」というくくりすら考えてなかったので。
わりと勢いで書けるものだ。ちょっとひっかかるところや説明不足なところは、あとで直し。少なくともヒキはもっとなんとかしなくちゃな。てーか、水滸伝を全く知らない人が読んだらどう見えるのか、想像しづらい。原作を一切知らない人にも話が把握できるように書くべきだろうか。まあ、水滸伝に興味ない人がやろうとは思わないだろうけど。いずれにせよ、水滸伝を知っていればいるほど楽しめるのは確かである(笑)。私自身、別に詳しいわけじゃないけどね。
さて、次はいよいよ阮三姉妹だ。
…どないしよ。
5/6
まだ阮三姉妹のデザインで呻吟している。いや、ほんとはだいたい決まってはいるのだが、やはりキャラに思い入れが全くないため絵を描く気にならない、ともいう(笑)。三人組だから却って作りやすい面もたしかにある。つまり上からお姉様、ボーイッシュ、ロリ。我ながら投げやりである。しかしまあ、基本路線はこれでいいだろ。他に三姉妹っていないし。そう、登場する順にデザインしていくと、肝心のキャラを作る時にネタが尽きている恐れがある(絵的な描き分けに関しては最初から投げてるが)。そのへんも考慮すべき時期かもしれない。たとえば、次女の「短命二郎」阮小五をボクキャラ(一人称が「ボク」)にしようかと思ったのだが、やはりそういうおいしいネタは後に取っておくことにした。使いどころには困るまい。
さて、横山光輝版の阮三兄弟をよく見ると、実は微妙に描き分けられていることが判明した(笑)。新たな発見である。小二はサイドヘアが長く、小五はもみあげが内側に食い込んでいて、小七は面長。『ジャイアントロボ』のアニメに登場した阮三兄弟より、実はこっちの方が区別しやすいかもな。しかし前述の通り今回は全く別のレベルで三人の差別化を図るので問題ではないのだった。
5/7
例のお姉様、ボーイッシュ、ロリ、という路線を友人に話しところ、「外すキャラが違うだろ!」と言われた。どうも話をよく聞いてみると、彼にとっては、
「(三姉妹)=(柏木四姉妹)−1」ということであるらしい。ということは阮小五は楓ちゃんか!
5/8
関係ないのだが、百八星の名を連ねた石碣を見てみると、その席次は、宋江、廬俊義、呉用、公孫勝に次いで第五位に来るのがなんと大刀の関勝。こいつ出番も活躍の場も全然ないクセに、関羽の子孫ってだけで林冲や、柴進、魯智深、武松ら超メジャーキャラを抑えてこんな上位に居座っているのである。関羽人気おそるべし、をあらためて思い知らされる事実だ。そもそも他でもない関羽の子孫なるキャラが、千年以上も下った時代に成立した大衆文学に登場しているという事実に、もはや根強い人気などというレベルを超えた中国民衆性の本質を見る思いでした。関羽本人も神に祀られてるしね。もっとも中国じゃ神様になるのは仙人になるより簡単らしいですが。
…阮三姉妹、まだ描いてない。