それぞれ日本将棋連盟公式のプロフィールページにリンクしているので、現在の段位や戦績はそちらを参照して下さい。
基礎編 †
とりあえずこれだけは覚えとけ、という面々を厳選。
羽生善治(はぶ・よしはる、1970年生) †
言わずと知れた、将棋界最大のスター。史上空前のタイトル七冠独占達成以来、将棋を知らない人でも羽生だけは知ってる。
棋風はまさにオールラウンドで、逆に“〇〇流”といったキャッチフレーズが定着しない理由でもある。ここぞという局面で飛び出す鬼手が「羽生マジック」と呼ばれるが、本人いわく「当たり前の手」を指しているつもりで、紛れ手で誤魔化しているかのような「マジック」という言葉もあまり気に入っていないようだ。
意外なことに、まだ永世名人の資格を得ていない(4期)。このことは将棋界七不思議の一つと言われる。
佐藤康光(さとう・やすみつ、1970年生) †
羽生世代の一人。
一般の知名度こそ羽生ほどではないものの、羽生に迫る最強の一角。
“1秒間に1億と3手読む”、“緻密流”などのキャッチフレーズで知られる読みの深さに定評があるが、むしろ攻めの豪腕が持ち味ではないかと思う。
また最近は数多くの新手を生み、「平成の升田幸三」などと呼ばれることも。
森内俊之(もりうち・としゆき、1970年生) †
羽生世代の一人。
羽生とは小学生の頃からあちこちの大会で優勝を争うライバルだったそうな。
地味ながら既に十八世の永世名人資格を獲得していて、現在も名人在位中。羽生に匹敵しうる実力の持ち主であることは間違いなく、その堅実な棋風も含め名人に相応しいキャラクターかもしれない。
谷川浩司(たにがわ・こうじ、1962年生) †
十七世永世名人。
史上二人目の中学生棋士としてデビューし、最年少記録の弱冠21歳で名人就位。当時羽生以上のセンセーションを巻き起こした。
特に「光速の寄せ」と呼ばれる終盤の速攻は、デビュー当時から「あまりにも速すぎる」などと評され、谷川以前・以後で終盤の様相が全く変わってしまったとすらいわれる。キャッチフレーズはもちろん“光速流”。
2008年現在、A級最年長にして唯一四十代の棋士。
渡辺明(わたなべ・あきら、1984年生) †
史上四人目に中学生で棋士になった、羽生の次の世代の天才児。
(一応名人と同格で最高位とされる)竜王を羽生世代の下の渡辺が保持していることには大いに意義があると思う。
藤井猛(ふじい・たけし、1970年生) †
九段。羽生世代。
自らの創案になる戦型「藤井システム」で棋界を席巻、流行戦法の勢力図を塗り替えた功績は極めて大。
得意形なら誰よりも深く研究を進めていることを自信のよりどころとし、研究勝ちするタイプ。
お家芸の藤井システムにおける絶対の自信を、「鰻屋がファミレスの鰻に負けるわけにはいかない」と発言した。
その後は「鰻だけではやっていけない」旨の発言もあり、方針は変わってきているようだ。
加藤一二三(かとう・ひふみ、1940年生) †
九段。
史上初めて中学生で棋士デビューし、現役最古参(最年長ではない)。人呼んで“神武以来の天才”。
対局時の食事は鰻しか食べない、ネクタイが異常に長い、タイトル戦の対局場になった旅館で「滝の音がうるさい」といって止めさせた、気分転換のため対局中に席を外して賛美歌を歌った(キリスト教徒)、などなど多くの奇行があり、その逸話の数々は一二三伝説として知られる。
2007年、史上初の公式戦通算1,000敗を達成。これは1,000勝より遥かに困難といわれる。
愛称、ひふみん。当サイトでは専ら「123」と表記します(笑。
中原誠(なかはら・まこと、1947年生) †
十六世名人。
羽生の前が谷川の時代なら、谷川の前は中原の時代。名人戦九連覇など一時代を築いた巨人。キャッチフレーズは“自然流”。
フリークラス(宣言)で現役続行中。
瀬川晶司(せがわ・しょうじ、1970年生) †
なにげに羽生と同い年なんですね。
年齢制限で奨励会を退会後、将棋をやめ会社勤めをしていたが、アマ復帰後はプロ棋士に対して7割超の勝率を残し、その実績を以てプロ編入試験の嘆願書を連盟に提出。編入試験の実施が認められ見事合格して2005年、フリークラス四段に編入。
プロ編入試験はこの60年前に実施された(花村元司)前例があったが、これを機に正式に制度化された。近年のアマ強豪のレベルアップを象徴すると同時に、歴史的な事件ともいえる。
女流 †
矢内理絵子(やうち・りえこ、1980年生) †
女流名人三連覇中。ぶっちゃけ女流ナンバーワンの美人に間違いないと思う。棋界のトップアイドル的存在。
林葉直子(はやしば・なおこ、1968年生) †
間違いなく女流トップの実力者(そして美人)だったが、中原誠との不倫騒動、失踪、ヌード写真集発表、自己破産、と奔放な人生を歩む。
現役棋士の頃から作家活動も行っており、現在もペンネームでマンガ原作などを手がけている。
引退ではなく連盟を「退会」したので、連盟のページにも紹介がないですね。リンク先は本人公式サイト。
引退/故人 †
米長邦雄(よねなが・くにお、1943年生) †
現・日本将棋連盟会長。永世棋聖。
相手にとって(降級などがかかった)重大な一番(自分にとってはそうでない)こそ、全力を尽くして勝て、という「米長哲学」は棋界に絶大な影響がある。
キャッチフレーズはその風貌や性格を評して“さわやか流”というのが本人ホームページなどでも使われているが、一方あえて局面を複雑化させ混戦模様から勝機を見出す棋風は“泥沼流”とも。
大山康晴(おおやま・やすはる、1923年-1992年) †
十五世名人。67歳で他界するまでA級に在籍し続けた。将棋史上最強の棋士、の呼び声も高い。
「とにかく読んでいないのに急所に手が行く」と羽生さんも言ってます。これは「まるで読んでいないようだ」ということでなく、ホントに読みによらず第一感で指してトップクラスの強さだった、という、まさに“達人”のイメージ。
升田幸三(ますだ・こうぞう、1918年-1991年) †
“名人に香車を引いた男”。
「新手一生」を信条に数々の新手・新戦法を考案し、時代の遙か先を往く極めて独創的な棋風で抜群の人気があった。
村山聖(むらやま・さとし、1969年-1998年) †
羽生と並び称される天才だったが、幼時から腎ネフローゼを患い膀胱癌を併発して29歳で早世。
その才能に、病苦と闘いながら名人位を目指し道半ばに斃れた短すぎる劇的な生涯は、大崎善生『聖の青春』(講談社文庫)で紹介され、TVドラマ化、マンガ化された。
アマ、その他 †
小池重明(こいけ・じゅうめい、1947年-1992年) †
新宿の殺し屋と呼ばれた真剣師。
アマ名人連覇、プロ相手にも勝ち続け伝説的な強さを誇ったが、破滅的な生き方が災いしてプロ転向を断念、その後長く真剣で生計を立てた。その人柄などは晩年の後援者でもあった団鬼六の著書に詳しい。
コダワリ編 †
以下は主に個人的な趣味(笑。
先崎学(せんざき・まなぶ、1970年生) †
八段。羽生世代。
羽生以上に早熟の才能で、ある時雑誌に羽生と並んだ写真が掲載された際「“天才”と“元天才?”」というキャプションを付けられてショックを受けたという逸話もある。
関西の神吉六段と並んで棋界を代表するエンターテイナーとして知られ、エッセイの著作も多数。
中川大輔(なかがわ・だいすけ、1968年生) †
口ヒゲがダンディーで個人的にお気に入り。常に駒音高く指すのもカッコイイです。
2007年のNHK杯で羽生マジックによる大逆転を喫した一局(解説:加藤一二三)が話題になり、本人は不本意でしょうがこれで印象に残ってます。
屋敷伸之(やしき・のぶゆき、1972年生) †
将棋の勉強は1日1分しかやらないと広言する天才肌。趣味は競艇。タイトル挑戦・獲得・失冠全ての最年少記録を持っている。(いずれも19歳、棋聖戦)
勝又清和(かつまた・きよかず、1969年生) †
わかりやすい解説に定評があり、「教授」の異名を取る。
特に戦法の系統発生の歴史、相性、流行り廃りの変遷などを解説した『最新戦法の話』は名著。
一時代に一人はこういう人がいることが将棋の普及発展において非常に重要なのではないかと思う。
女流 †
里見香奈(さとみ・かな、1992年生) †
中学時代にセーラー服にメガネで公式戦の対局に登場し、一部で人気沸騰(笑。
実力も折り紙付きで、特に詰将棋で鍛えた終盤力は既に女流トップクラスともいわれる。島根県在住で夜行バスで対局場に参じるという、キャッチフレーズは“出雲のイナズマ”。
同年代の井道千尋、室田伊緒と三人で「キラリッ娘」というユニット扱いになっている。共同Blogは「キラリッ娘のそよ風日記」。このタイトルのセンスのなさは将棋界ならではといえよう。(確か公募して決めたもの)
安食総子(あじき・ふさこ、1974年生) †
NHK杯の読み上げでよく見かけるので気になってます。
正直、それだけ。どんな将棋を指すのかとか全然知らない(笑。
愛称、あじあじ。